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序文

子供の頃、僕は映画会社が沢山集まる町に住んでいた。
町はずれの県境に流れる大きな川沿いまで、歩いて15分程の間に映画スタジオが点在していた。
当時日本映画はそれまでの栄光から影をひそめ斜陽産業とも言われていた。
そのせいか柵越しに見るロケセットを組むための空地も工事現場のような風采だった。
それでも撮影が始まるとハリボテながらセットが組まれ、大きなカメラやマイクを持ったスタッフが練り歩き、少し派手な衣装をまとった俳優さんが監督らしき人と台本なんかを読み合わせていた。


スタート!カット!と始まり終わる現場を飽きもせず僕は眺めていた。

初めて見に行った映画は近くの公民館で上映されていたキングコングだった。
今は知らないが僕が小学生だった頃は毎月いろんな映画が公民館で上映されていた。
僕が行きたいとねだったのか、子供も観れる映画だから、と母親が連れて行ったのかは覚えていない。
キングコングの感想も覚えていない。
小学校も低学年の頃の話だ。

自分の意思ではじめて観たいと思った映画は角川映画の「復活の日」だった。
日本映画の中では多くの金をかけ、世界と同じレベルに持って行きたいと熱望した角川春樹の渾身作。
彼は私財をはたき会社の金を自分のものの様に扱い、ただデカイ映画を撮ることだけに命を懸けていた。
その後彼はアメリカ映画の観過ぎかコカインで捕まった。
やはり映画バカはこうでなければいけない。
「復活の日」はやはり自分で選んだだけあり大変面白かった。
シチュエーション、キャスト、世界中をまたにかけたロケ、過剰な宣伝。
当時下敷きの中に雑誌の切抜きを入れるのが流行っていたが、僕の下敷きの中はある日、ピンクレディーから「復活の日」のチラシに変わっていた。
草刈正夫とオリビアハッセーが授業中の僕を見つめる。

中学生になり友達と新宿へ映画を観に行くようになった。
「ラ・ブーム」は初めて観たフランス映画だった。
フランスのエスプリとしゃれた映像、夢見る様なかわいい女の子。
こんなおしゃれな映画を僕らはわざと男3人でジャージを着て観に行った。
そうすることに意味があったのだ。
坊主頭の中学生が考えたわけのわからない照れ隠しの形。
その後僕らの下敷きの中にはソフィ・マルソーがいた。
この映画で僕は映画における音楽の重要性を認識した。
ざわついたパーティーの中でそっとヘッドホンをかけられた瞬間に別の世界へ行ってしまう演出。曲も良かった。
夢うつつのまま映画館を出たジャージの坊主頭たちは、今日の食事はフランス料理でないといけないと決めていた。
今からでも遅くない。オレタチは今日からフランス人になるのだ。
パーティーとかにも行くのだ。
ソフィーみたいな女の子とつきあうのだ。
そのためにはまず食べた事ないフランス料理だ。
しかしそんな店を探せるわけでもなく、あっても金がない。
しかたがないのでアカシヤのロールキャベツを食べて帰った。
そんなに悪くない選択だったと今も思う。

それから僕は何かにつけて映画館へ通った。
高校生になり初めてのデートらしき日にたいくつなフランス映画をチョイスしてしまい大失敗したりはしたけど、僕の生活の中に確実に良いフックを与えてくれた。
高校を卒業してからはビデオ屋でバイトをしていろんな映画を観まくった。
もちろんそれらの行為は曲を作るうえで僕の作風を決定付けることになった。
映画のようなストーリーのある歌詞とそれを引き立たせるアレンジ。
それを何度も繰り返し、いろいろな方法で試してきたのだ。
夢は自分の歌詞で映画を作る事。
音楽は映画制作への踏み台でしかないと吹いていた。
根拠も、自信も、技術もないのに、だ。

しかし年を重ねるに従いそれは大変難しいことだと気付かされていく。
当たり前だが映画制作は素人だ。
僕が音楽と言葉に費やしてきた時間分、映像の人たちは映像に費やしてきたのだ。
だったらせめて映画に関わることがしたい。
そう方向転換したのが10年前ほど。
しかし昨今のデジタル技術の発達により素人でも手が出せてしまえる状況が生まれてしまった。
ここでやらなきゃ確実に後悔する。
これといった趣味のない僕ですし、少しだけでも参加させていただけたら、、、と思った。
たまたまめぐり合わせで僕はプロユース最低機種のビデオカメラと、映像ソフト安く譲ってもらうことが出来た。
こうなったらMACを購入するしかないとローンで買った。
これで映像制作の最低の用意はできた。

今はまだ昨日よりうまく撮り、昨日よりうまく編集することと、映画制作の友達を増やす事をやっている段階。
自分で全部やらなくてもいい。
参加できればいいのだ。
多くの人と作り上げるひと駒でいいのだ。

そして僕はカメラを持ち町へ出る。
そこには撮るべき物があるのかどうなのか今の僕にはわからない。
正直何もわからない。
ただ向うの方に色あせた柵越しの風景がいつもあるのだ。
それは僕の心からいつまで経っても離れない記憶と興奮。
とりあえず始めてみよう。
まずはやらなければ何も始まらないのだ。

しかし、最大のネックは時間の確保を、、、どうするかだ、、、。
まぁ今までどうり、どうにかするしかないのだが、、、。

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