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オンガクニヨッテスクワレルコトガアル

音楽によって救われる事がある。
それは僕にとって手の届かない音楽であり自分を打ち負かすような音楽。
すなわち僕には出来ない音楽であり、かつ自分の出来る音楽に置き換えた場合にですら僕が到達していない領域の音楽。

心も体も疲れ果てソファになだれ込む前にうすっぺらい銀板をケースから取り出し、壊れて手動になったトレーを開け、無造作にそれを置きトレーを閉める。それからプレイヤーの電源を入れ少し待ちアンプの電源を入れボリュームを上げる。

ソファに身を投げ出し音に集中する。

自分に出来ない種類の物事に大して僕は寛大であり自分の全てを委ねる事が出来る。
それは宇宙に関する僕の想いにとてもよく似ている。

僕が全てをゆだねる音楽にはひとつの傾向がある。
上記の条件を満たす自分が出来ない楽器のピアノ主体の物とストリングス主体の物。
さらに言えばピアノとストリングの合わさった物。
なおかつ考え付かないような美しいコードワークとアレンジ。
そして聴いただけで溶けてしまいそうな絡み合うグルーヴ。
さらに家のローエンドなオーディオですら素晴らしく良く聴こえるような録音。
この後者3つが備わっていると僕は手が届かないもどかしさを飛び越え心も身体も癒される事となる。
それは極上の睡眠であり極上の女の子であり極上の薬みたいなものだ。
全てがどうでもよくなり自分しか知らないフラットな気持ちに戻してくれる。
オレは何やってたんだ?と思わせ僕にとって正しい方向に導き出してくれる。
この感覚は映画のような総合芸術的なものにはない。
強いて言えば本にはある。
向き合う情報がシンプルであればあるほど染み入ってくる。
誤魔化しが利かないので数が少ないのが難点だが。

とか言いながら今は久しぶりにビートルズのリボルバーを大音量で聴きながらこれを書いている。
なぜなら今とても聴きたかったからだ。
いろんな所で(アンケートやらプロフィールやらインタビューやら何やら)ビートルズに影響を受けたと山ほど書いてはきたが、正直思い入れが強すぎるのかここ10年くらいはあまり自分からは聴いていなかった。
ステレオの調整をする時にはいつもビートルズの音が一番良く聴こえるようにするのだが、結局そのくらいしか聴いていなかった。
今日久しぶりに気持ちが、耳が、あの音を欲し、自らの手で音を流した。
特にリボルバーが聴きたかった。
その理由は自分でもわからない。
聴きたかったとしか言いようが無い。

しかし今現在大変癒されています。
やっぱりこの音大好き。
バキっと行こうじゃない!いいじゃんそれで!みたいな。
もちろん当時の器材やら、イギリス的コンプのかけ具合やら、メンバーのプレイもあるけど、やっぱりリボルバーはとても好きな音のひとつだ。
(ビートルズはどの時代も好きだが今現在の気分としてね)

人にはいろいろ好みがあるし、なんとも言いがたいが「音楽」突き詰めれば「音」に救われるってのもまぁ一個人のひとつの選択である。
そしてさらに言えば「本」、「文章」に救われる。もう少し突き詰めれば凝縮された「詩」に救われる。
もちろんそれは最近気持ちが悪いほど売れている、いやらしく編集された「何かをやりとげた人らのヒトコト集」ではない。(僕はあの手の本が大嫌いだ)
あとは自分が思いも付かない事をやった時も救われる。(まだオレは大丈夫だと)
あと今飲んでいる濃い赤ワインと、お客さん頂いた「とても臭いけどとてもおいしい生サラミ(豚と猪の2種類)」にも救われているかも。(逃げてるだけか?)

まぁどうでもいいが明日は天気が良いらしいので外に出てみようかと思います。

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