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生協、ジャミラ、貧乏

中学校の学友にマツイと言う女友達がいた。
彼女は美形の集まる花形女子バスケ部に在籍していたが、彼女自身、どちらかと言うと平凡な顔立ちでイカリ肩のため「ジャミラ」と男友達から呼ばれていた。

誤解して欲しくないのだがいじめていたのではない。
それくらいのあだ名をジョークとして許容するくらいの校風はあったのだ。

ある日ジャミラの足元見ると僕と同じ靴下を履いていた。
それはまぎれもない生協靴下だった。
生協靴下は特に斬新なデザインをしていたわけではない。
しかし僕には分かった。
「ジャミィ、それって生協靴下じゃん?」僕はニヤニヤして言った。
ジャミラは顔を赤くして振り向いた。
ホラ!と言って僕は自分のズボンを引っ張り揚げて足を見せた。
「生協かよお前んちも!」
僕らは大笑いをした。

今思えば当時生協は斬新なシステムだった。
共働きの家庭に新鮮で安全な食べ物や衣類を共働きの家に配達する。
今のスローフードやエコブームのパイオニアのような存在だった。
しかし僕らはそう思わなかった。
生協とは貧乏人の寄り合いみたいなものだと思っていた。
うちはどちらかと言うと裕福ではなかったし、親の帰りもいつも遅く鍵っ子だったので他の一軒家に住む友達を羨んでいた。
それは幸せなホームドラマみたいな家庭だ。

(余談だがオリエントスパゲッティスタッフのカトーショコラは兄弟子であるタカマンチョスが来店すると、兄弟子の今の気分にあったメニューを作らされる。タカマンチョスの顔色を見て身体の状態をはじき出し自分で考えて作るのだ。ある日タカマンチョスがとても疲れた顔で来店した時に彼はホワイトソースのパスタを作った。いつもはスタミナが付くようにとニンニク系を出すのに。なぜ今日はホワイトソースなのかと尋ねると「自分はこのホワイトソースがいつもシチューに見えるんです。そして自分のシチューのイメージはコマーシャルに出てくるような温かい家庭なんです。自分はシチューなんて食べた事ありませんが不幸せな時に一人でシチューを作って食べるのです。今夜はタカマンチョスさんがひどく疲れてらっしゃるようなので温かい家庭のひとときを演出したく作ってみました」
そう笑顔で言い放つカトーショコラの顔を見て、こいつんちも貧乏だったんだな、オレが東京のお父さんになってあげなければな、と思った。)

さて貧乏人の溜まり場、同じ境遇で長屋のような共同体意識を持つウチのマンションでは、生協が大流行していた。
僕を含めた多くの鍵っ子達はいろいろな家庭で夕食のお世話になり、そしてお世話をした。
どこの家も夏のなると扉が開けっ放しで、頂き物の果物やら作りすぎたお惣菜なんかを手土産に、誰もが自由に行き来をした。
そのマンションに住む人らの子供らは兄弟も同然だった。

マンションの友達は上から下まで幅広い。
同学年という意味でジャミラとはそれ以来、労働者階級の子供として共有する意識を持ち始めた。
廊下で会う度に靴下をチェックし僕は「おっ今日も生協靴下だね!」と言うのが挨拶になっていた。
ジャミラはいつも「アンタもそうでしょ!」と言って笑った。
それはその階級に属していなければわからない共有のジョークだった。

しかし本当の生協はそうではないとは思う。
聞いたところによると生協も今ではいろいろあって左系から右系、自然系から大手系までいろいろな派に分かれているらしい。
あえて調べていないしこんな駄文で傷つく人もいないだろうから言い放つが、僕の思う生協は労働者階級の愛に満ちていると認識している、と思ってほしい。
これは僕のささやかな偏見であり、あえて修正もしない思い込みでもある。
だから関係者、利用者の方々は怒らないで欲しい。
しかし今日の僕にここまで言わせるにはやはり生協側にもそう思わざる得ない大きな要因がある。
僕の中の事実としてスーパー生協はいつもすさんだ感じを持つ。
僕が行った事のある中央線沿いの何件かの店がたまたまそうだったのかもしれない。
しかし何件も行けばいいだろう。
極端に言えば食糧難のロシアのスーパーみたいなイメージだ。

今日、久しぶりにスーパー生協を訪れた。
駅ビルの中にある西友に行くには格好が汚すぎたからだ。
そこで今夜の鍋のメインを見に精肉コーナーに行ってみると親子が何やら物色をしている。
コレは安い、コレは高いとお母さんが娘に言っている。
娘はおそらく中学生くらいでジャミラのように平凡な顔立ちではあるが、今の子はみんなお洒落なので全体としてはジャミラよりマシに見えた。
お母さんは小太りで派手なスウェーターを来て黒光するピチピチのパンツをはいていた。
娘が「明日のお弁当は鶏肉がいいんだけど」と言ってササミを手にした。
それを見たお母さんは血相を変えて「ダメダメ、ダメよ、ササミなんか高いから!これでいいでしょう!」と言って鶏の胸肉を持ってきた。
「え~でもササミがいいんだよぉ」と娘は懇願している。
「同じだからいいでしょう!」とお母さんは全く取り合わない。
それでも娘は引かない。「ササミがいいのにぃ」
「ダメよササミなんか小さいし!」と言って勝手に胸肉をカゴに放り込みさっさと向こうに行ってしまった。
あきらめきれない娘はプラスティックトレーに2本入ったササミを手に、精肉コーナーに立ち続けていた。
となりで一部始終を聞いていた僕は、娘さんにお母さんを説得する材料を提案するため一声かけてあげようかと思った。
まず、(1)ササミと胸肉は同じではないし(2)確認したところグラム値段が同じである。大きさが変わるだけで損はしないと。(3)常識的に考えればササミの方が胸肉より相場が高いのであるから同じグラム値段になっている今、むしろビックチャンスなのではなかろうか?と、、、。

しかし僕にはそんなこと言える勇気もなく、首をうなだれる彼女を見つめるしかなかった。
僕は彼女に心で叫んだ。
悪いのはお母さんじゃない。
こんな簡単なことを説得出来なかった君が悪いんだと。
貧乏の子はそうしない限りこの世界では生きていけないんだと。

その後買い物を済ませ、もう引退してもいいだろうと誰もが思うような白髪のお婆ちゃんが担当するレジに行くと、あの親子がまたいた。
今度はレジ前のトイレットペーパーコーナーで何やらやっている。
娘が「あった、あった、シングルあった、これだよね、これでいいんだよね!」と言ってお母さんに誇らしげに言っている。
お母さんはそんな娘をそれでいい、といった感じで見つめていた。
僕は、そういうことじゃないんだよ!と思った。

中学校以来会っていないが今もジャミラは元気なのだろうか。
僕は食材が詰まった5円で買わされたビニール袋を肩で担ぎ、突き出た長ネギに歩く数と同じだけポコポコと頭を叩れながら、涼しくなった秋の夜道を歩く。
ジャミラが子供といっしょになって今月の注文シートに丸を付けている姿を想像しながら。
そうであればいいな、良い家庭を持って幸せに暮らしてればいいな、と思いながら。

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