スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


洒落た3周年 (ウツロイキョウモツクロウ) 壊す美学

えぇーレコーディングもひと段落付き、足掛け3年!バカみたいにやってきたこともそろそろ終わりです。(結局NON-POLYと同じ期間費やしてしまった、、、)

何やら寂しいやらホッとしたやら、、、。

なんてホントは思ってません。

今となってはそんなことやってったのが不思議なくらい次の事でアタマが一杯なのです。

作ったら終わりなのか?
そうみたいです。
繕う事(ツクロウコト)とはツクル事を繰り返す事、ツクル+ウ(フ)←反復の(フ)だそうで、僕は今「ウツロイキョウモツクロウ」ことが楽しい。(金になったらもっと楽しい!)
だから作ってばかりじゃなくてちゃんとしなければ!
商才無しだが、人に届けんことにはね。(わかっちゃいるが、、、)

今年は細いデブ先生言う所の大殺界真っ只中みたいですが、当然のように反旗を掲げて新しいことを次々とスタートさせてみようかと思っています。
えぇー言い過ぎました。
百歩譲ってデブ先生は普通です。
いたってごく普通の良くある話をしています。
そこら辺のおばちゃんくらいに。
それを真面目な顔で真に受けている人が普通ではないのです。
とてもわかりにくい例えで恐縮ですが、それは成人式にノコノコ出て行って暴れる若者の行動を見たときの個人的嫌悪感にも似ています。
ホントの暴れん坊は国なり県なりがお膳立てしたどうでもいい式典なんかに出ないだろう?みたいな。
デブ先生の一般論を真に受けている人(ゴールデンタイムに放映されているという事は商業的に成立しているのだろうという予測の中で)がいる事は異常です。
最近スピリチュアルな先生方が目に付くようになってきましたが本来(霊が見えるだの、未来が予測できるだの、そんなことは置いといて)あの先生方の話ごとき誰もが生まれ付いて知っている話でなければおかしい事ではないでしょうか?
涙を流して聞くような話しではないし、金を払ってセミナーに行く事ではないし、それを先生の言葉でわかった風なしたり顔で翌日誰かにトクトクと話す事でもない。
もっと自分の経験とアタマで掴み取れと僕は思う。
そして掴み取った何かを形にして(形じゃなくてもいいや)黙ってても行動で相手に伝わる「洒落た伝達方式」でこの世が回ればと切に願ってやまない今日この頃、、、お元気ですか?さらに敵を増やしそうで怖い一個人の思いです。(許して下さい)


話がだいぶ逸れましたが、とにかく次へのやる事リストが満タンなんです。
なんだか初心に返ったようで、もう無いと思われていたあの頃の初期衝動が、ムクムクと湧き上がって来るのを感じます。


とても前向きな気分です。


僕は一体どこへ向かおうとしているのだろう?と悩んだ事もありましたがストーンズはストーンズ、僕は僕です。(ストーンズ批判ではない)
依然、ジョンとジョージの濃い影は僕にまとわり付き、彼らの行きたくても行けなかったと思われるやり方(<やったであろう事>ではない)を僕は予測しながら生きているような気がします。
ひとつの事柄に無理に固執し続けることが全てではない、と。

それらのいろいろなやりたい事柄を達成するにあたってまず、ベクトルの向きが重要です。
この向きはもちろん今まで僕がバカみたいに提唱してきた「洒落た方向」に照準を合わせます。
そして迷わず続けることも重要です。
人生迷ったら終わりです。
誘惑はそこら中に蔓延しています。

やりたいことをやるときのエネルギーはとてつもなく強力で、必然的に綺麗に、軽やかに、物事が運びます。
それは凛としたエッジを持つピラミッドが、空すら切ってしまうように見える構造が、単純な形を超えて美しさに変わってしまったような感覚です。
それを個人レベルに下げます。

この法則で言えばやりたくないことをやっているときのエネルギーはとてつもなく微力です。
そんなエネルギーの果てに出来た形は、悪い意味で「ありふれた単純な形」、大量に工場生産された「無機質な形」、でしかない。
インチキ臭いシャンデリアなんかとセットにすればエグサ倍増、言う事無しの代物。
まずそんな物を身が焦げるほど眺めてみても有機的ワクワク感が無い。
それは無骨な形をじぃっと眺めた時に、初めて見せてくれる魅惑のイメージを創りたもう想像の力に申し訳ない。
純粋に酒を楽しむ人には水っぽいウィスキーをいくら飲んでも満足出来ない感覚にも似ていると言ってもいいでしょう。

しかし何かの為(たぶん金)に人(僕も)はそれを続けます。
そして悪い事にそれを賞賛する見当違いな人々にもてはやされ、何の為に続けているのかすらわからなくなってしまいます。
しかもそんなに不自由な事はないし、そんなに不都合なこともないし、そんなに不愉快でもないし、そんなに困らないし、そんなに気分も悪くないし、たまにある理不尽なストレスさえ我慢していれば、人(僕も)はなんてことなくなっちゃうんです。
それが「上手く出来た人間の証だ」と言われれば言い返せないのですが、、、。
さらに「精巧に出来た人間の微力なストレスは結局微力なエネルギーから生まれているので、乗り切れるくらいなものであるのは当然なんだ」と言われれば、、、。

でもそんなものいりません。
乗り切らなくてもいい。
むしろ沈没してしまいたい。


僕は全ての事柄において刺激を必要とする人間なんだと最近やっとわかりました。


つまんないことをだらだらやって微力なストレスを微力な発散の仕方で解消していくよりも、強力な刺激によって生まれたスパークの欠片に身体を貫かれた方がましみたいです。

もう一度繰り返しますがとても前向きな気分です。
自分にまだあの頃の初期衝動があったと言う事が驚きです。
誉めてあげたい。(ホントはこんな事を書いて自分の尻を叩いている)

こんな物言いは大変傲慢だとは重々承知ですが、「微力なストレスを微力な発散の仕方で解消していく事を全ての人が止めればいい」と思います。

そしてそれは結局宇宙の法則的に考えれば、個(とても小さい物)から蔓延します。
「洒落た世界」を構築するには「洒落た個体」を増やすしかない。
それはもちろん同じ考え方でなくてもいいのは言うまでもありません。(一方通行の物言いで人の話には全く耳を貸さないような宗教或いはそれに準ずる似非スピリチュアル、又は神秘のみ追求主義者じゃないんだから)
違う考え方の人々が顕微鏡で見た細菌のようにカオスを作り上げているのがこの世界であり、大きな意味での自然界なのだから、同じ考えの人ばかりの世界と言う物は自然の摂理に反するのです。
いわゆる「不自然」なんです。
「不自然」な事柄や物質は気持ちが良くない。
善玉菌と悪玉菌がいてこそ「自然」と言う物です。
しかしここ重要ですが悪玉菌は必要悪であり大きな意味でベクトルは同じなんです。
いい意味での悪玉菌。(個性が突出してしまった菌と言う意味で)
カオスの中でさらにさらに交わるような。


果たして真理はどこにあるのか?
それはどこにもないしどこにでもある。
一本の転がる鉛筆にですら真理をこじつける事は出来る。
それをわかった上で行動する。
これが僕の思う「洒落た世界」なのです。


言いたいことをバカみたいに言いました。
来週から幼少から続く僕の深層心理の中で念願であった映像制作をするべく、まずは素材を撮りにサンフランシスコへ行ってきます。
5年前にバイクで事故ってから「早い物」「高い物」がダメになってしまった僕にとって、飛行機での旅はまさに死のドライブとしか思えません。(一昨年、韓国に行ったときは機内で脂汗ダラダラだった、、、。ちなみに高速道路も無理)
だので、言いたい事を言い放ってみました。
もし無事でしたら、またバカみたいに新しい事を(今までバカみたいにやってきた音と言葉を組み合わせた)映像作品を作りたいと思ってます。

なお映像に関してのドタバタも「洒落たレコーディングセッション」同様アップしていきますので、皆さん何も言わなくてもいいので静かに見守ってください。


今年もご静聴ありがとうございました。

スポンサーサイト

SANBUN |


| TOP |

カテゴリー

+Link+

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。